大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 昭和37年(行ナ)88号 判決 1966年12月13日

原告 ハルコン・インターナショナル・インコーポレーテッド

被告 特許庁長官

主文

特許庁が、昭和三十七年二月十六日、同庁昭和三十四年抗告審判第八一二号事件についてした審決を取り消す。

訴訟費用は、被告の負担とする。

事実

第一求めた裁判

原告訴訟代理人は、主文同旨の判決を求め、被告指定代理人は、「原告の請求は棄却する。訴訟費用は、原告の負担とする。」との判決を求めた。

第二請求の原因

原告訴訟代理人は、本訴請求の原因として、次のとおり述べた。

一  特許庁における手続の経緯

ケムパテンツ・インコーポレーテツドは、昭和二十九年九月十七日ロバート・ビー・エグバート及びアルフレツド・サツフアーの両名より同人らの発明にかかる「エチレン・オキサイドの製造方法」につき特許を受ける権利を譲り受け、昭和三十年八月一日特許出願(昭和三〇年特許願第二〇、六一三号)をしたところ、昭和三十三年十一月十日拒絶査定を受けたので、昭和三十四年四月八日これに対する抗告審判を請求(昭和三四年抗告審判第八一二号事件)したが、特許庁は、昭和三十七年二月十六日、「本件抗告審判の請求は成り立たない」旨の審決をし、その謄本は、同年二月二十六日原告に送達され、その出訴期間は、同年六月二十八日まで延長された。なお、原告(その商号サイエンテイフイツク・デザイン・カンパニー・インコーポレーテツドを昭和三十三年四月二十九日現商号に変更)は、前記ケムパテンツ・インコーポレーテツドより前記発明についての特許を受ける権利を譲り受け、昭和三十四年七月六日、出願名義変更届を特許庁長官に提出した。

二  本願発明の要旨

供給されるエチレンの純度が不純物としてパラフイン系約〇・五~一〇%を含有するものであり、かつ、供給するガス状混合物容積一百万単位に対し揮発性ハロゲン材料容積約〇・〇〇一~二を反応系に供給し、それにより二酸化炭素過剰生成を抑圧し、適当の触媒活性を保持することを特徴とする銀含有触媒の存在下においてガス状酸素によりエチレンを部分的に酸化してエチレン・オキサイドを製造する方法。

三  本件審決理由の要点

本件審決は、本願発明の要旨を前項掲記のとおり認定し、拒絶査定の引用例である英国特許第五一八、八二三号明細書(昭和十五年九月十九日特許局陳列館受入)(甲第九号証)に、「銀含有触媒の存在の下でエチレンを直接酸化してエチレンオキサイドを製造するに当り、反応混合ガス中にその量の約〇・一%以下の揮発性ハロゲン材料を添加して副反応を抑制し、エチレン・オキサイドの収率を高める方法」が記載されていると認定したうえ、両者を比較し、銀含有触媒の存在下でエチレンを酸化してエチレン・オキサイドを製造するに際し、混合ガス中に揮発性のハロゲン材料を少量共存させ、エチレン・オキサイドを収率よく得ようとしている点で両者は全く同一であり、ただ、(1)本願発明においてはエチレンの純度を限定しているに対し、引用例においては、とくに、その純度に関しては説明されていない点及び(2)前者が揮発性ハロゲン材料をガス状混合物の容積の〇・〇〇一~二ppm存在させているに対し、後者は、単に、その量を〇・一%以下としている点において相違するが、右いずれの点においても発明の存在を認めることはできないし、その相違によりとくに認めるに足る効果がないから、本願発明は、前記引用例から当業者が容易にできる程度のものと認められ、旧特許法(大正十年法律第六十九号)第一条の発明を構成しない、として、前記各相違点につき、次のとおり説示した。すなわち、

(1)について。

一般にエチレン・オキサイドを製造するために使用されるエチレンには、パラフイン系炭化水素の不純物が多少とも存在するものであり、本願発明で規定した純度のエチレンは一般に使用されているエチレンの純度範囲に入るものと認められるばかりでなく、とくに、この純度のエチレンを使用することによつても格別爾後の工程に有利性があるとも認められないから、この点の限定には、何ら新しい技術的解明がされたものとすることはできない。

(2)について。

本願発明における揮発性ハロゲン材料の量は、引用例の方法、とくに、その実施例に示されている量と比較すれば明らかに極めて少量ではあるが、この引用例に教示するところは、揮発性ハロゲン材料をガス状混合物の〇・一%以下添加するということであるので、当然本願発明の規定する量的範囲も、その範囲に入るばかりでなく、本願発明で規定する量的範囲の揮発性ハロゲン材料を使用しても、エチレン・オキサイドの収率は、引用例に比して、決して優れたものとすることはできないから、その効果の面からみても、本願発明の揮発性ハロゲン材料の量の規定には、発明の存在を認めることはできない。

(審決を取り消すべき事由)

四  本件審決には、前項掲記の「(2)について」の判断において、事実誤認の違法あり、取り消されるべきである(審決理由のその余の点については争わない。)。すなわち、

引用例の特許請求の範囲の記載によれば、その抗触媒剤の使用量は、〇・一%以下、すなわち、一、〇〇〇ppm以下とされている。本件審決は、この記載をもつて、限りなく少い量までこれに含まれると解しているが、甚だしい誤解といわざるをえない。引用例の明細書(三頁七三行~七七行)は、抗触媒剤の量は、余り少量では炭酸ガスの生成の過度の反応が起こり、エチレン・オキサイドの収率が低下すると述べ、余り少量(too little)の抗触媒剤の使用は、引用例の方法には適さないことを示している。このことは、この方法における抗触媒剤の量は「too little」でないことが反応の条件となつていることを示すものである。換言すれば、右明細書の記載は、抗触媒剤の量は無限に少量でもよいとしているのではなく、それには、余り少量ではないという一定の限度がある、と述べているのである。この記載と前記特許請求の範囲の記載とを総合すれば、引用例における抗触媒剤の使用量は〇・一%(一、〇〇〇ppm)を超えず、しかも、これより余り少くない量ということになる。その量について、実施例(一)は〇・〇五%(五〇〇ppm)、実施例(二)は〇・〇一%(一〇〇ppm)であることを教示しており、結局、引用例を実施するに好適な抗触媒剤の使用量は、五〇〇ppmと一〇〇ppmであり、これが一〇〇ppmより少量でもよいとの教示はどこにもない。したがつて、引用例の特許請求の範囲に示された「〇・一%以下」とは、「〇・一%以下〇・〇一%以上」すなわち、「一、〇〇〇ppm以下一〇〇ppm以上」であると解するのが合理的解釈であり、さらに、引用例の明細書を検討すれば、引用例においては、抗触媒剤の量が〇・一%、すなわち、一、〇〇〇ppmを超えないことに発明の主眼がおかれていることが明らかである。しかるに、本願発明における抗触媒剤の使用量の最高限は、わずかに二ppmであり、引用例におけるそれの五十分の一ないし百万分の一という甚だしい微量であり、これが引用例の開示する技術思想に含まれるものでないことは、常識上余りに当然のことといわなければならない。しかして、このような抗触媒剤の使用量に関する大きい差異は、引用例においては、炭酸ガスの過剰生成を抑制することを目的とするに反し、本願発明においては、これと共に、触媒活性の低下することを防止するという相反する二つの事象を同時に満足させることを目的としていることに由来するものである。しかも、本件訂正明細書(甲第二号証)記載のデータによれば、それが二・五ppmの場合は反応率は二二%であり、一〇五ppmの場合は三三%であることが明らかである。すなわち、抗触媒剤の使用量が一・五ppmの場合は、それが二・五ppmの場合に比し、五割も反応率が良好なのである。ちなみに反応率が良好であるということは、収率が良好である、ということなのである。

以上のとおりであるから、本件審決において、本願発明における抗触媒剤の使用量が引用例におけるそれの五十分の一ないし百万分の一であること、一ppmの差がエチレン・オキサイドの収率に如何に大きい影響を及ぼすか等を誤りなく認識したならば、両者が全く技術思想を異にし、したがつて、本願発明における抗触媒剤の使用量が引用例の使用量の範囲に入るなどという甚だしい事実誤認の違法は犯さなかつたであろう。

第三被告の答弁

被告指定代理人は、答弁として、次のとおり述べた。

原告主張の事実中、請求原因第一項から第三項記載の事実は認めるが、その余は否認する。本件審決には、原告主張のような事実誤認の違法はない。

一般的に化字分野の出願発明の審査に際しては、他の分野に比し、選択発明の概念が強く出ているが、これは、化学は実験の学問であり、類推範囲が狭いからだとされている。しかしながら、選択発明として特許される場合は、選拓された下位概念の思想の技術が、その上位概念で表現されている技術に比し、特殊な技術的効果を奏することが確認された場合に限るものであり、その特殊な技術的効果がない場合には、その下位概念が上位概念から自明なものであるときは同一発明論、自明とはいえないときは発明性(現行法では進歩性)の否定論を展開するのが今日までの審査のプラクテイスであり、このプラクテイスをもつて本件の場合を考察すると、揮発性ハロゲン材料の量については、相対的には引用例は上位概念であり、本願発明は下位概念に相当し、しかも、上位概念で表現されている条件に比較てし、本願発明の下位概念で表現されている条件が特殊な技術的効果を奏するという確認ができるデーターは全くない(比較データの提示を求めた訂正指令に対し、原告は、ただ、きわめて不満足な比較をしたにすぎないい。)。したがつて、従来の選択発明についてのプラクテイスよりして、本件審決のように結論することは、至極当然の事柄である。なお、原告は、引用例における「too little」の場合についての記載を捕えて論議するが、本件審決においては、本願発明と引用例とが同一発明であるとしているのではなく、本願発明は、引用例に示された技術から当業者が容易にできる程度のものであるとしているのであり、このような場合には、引用例の発明者の認識度は、とくに重大な意義を有するものではないから、原告の右論議も意味があるものではない。

第四証拠関係<省略>

理由

(争いのない事実)

一本件に関する特許庁における手続の経緯、本願発明及び引用例における発明の各要旨並びに本件審決理由の要点が、いずれも原告主張のとおりであることは、本件当事者間に争いがない。

(審決を取り消すべき事由の有無について)

二 本件審決を取り消すべき事由の有無は、本願発明及び引用例における揮発性ハロゲン材料の使用量に関する本件審決の認定が正当かどうかにかかつていることは、本件当事者双方の主張に徴し明らかなところ、当事者間に争いのない本願発明及び引用例における発明の各要旨に、成立に争いのない甲第一、第二号証、同第六号証及び同第八、第九号証を参酌考量すると、引用例が、触媒の減耗に無関係に、揮発性ハロゲン材料の使用量とエチレン・オキサイドの収率の向上との関係を究明した発明であるに対し、本願発明は、触媒の活性の減耗の少ない、あるいは、その持続性のある限界内において、揮発性ハロゲン材料とエチレン・オキサイドの収率との関係を究明したものであり、引用例とは、発明の狙いを異にするばかりでなく、その抗触媒剤である揮発性ハロゲン材料の使用量及び作用効果をも異にし、その揮発性ハロゲン材料の使用量についても、引用例にない特殊な技術的意義があるものであることを認定しうべく、これを左右するに足る証拠はないから、本件審決は、この点において、事実の認定を誤つたものといわざるをえない。以下、これを詳説する。

(一)  抗触媒剤の使用量について引用例が開示する技術思想

前掲甲第九号証(引用例である英国特許公報)によれば、その実施例一において、エチレンジクロライド五〇〇ppmを使用した場合に、エチレン・オキサイドが高い収率で得られることが例示してあり、これら実施例と当事者間に争いのない引用例における発明の要旨及び右甲第九号証の記載、ことに「これらの抗触媒剤の濃度は極めて注意深く調節されなければならない。もし余りに少量を使用すると(If too little is used)、炭酸ガスの生成の過度の反応のため、収率が低下する」旨の記載を総合すると、引用例は、触媒の活性の損耗に無関係に、もつぱらエチレン・オキサイドの収率の点から揮発性ハロゲン材料の使用量の範囲を〇・一%以下と限定したものであり、かつ、抗触媒剤の「余り少量(too little)」の使用は、かえつてエチレン・オキサイドの収率の低下をきたし、好ましくないものとしていることを認めうべく、これを左右するに足る資料は全く存しない。

(二)  抗触媒剤の使用量に関する本願発明における技術思想

前掲甲第二号証(本願訂正明細書)の「上記の方法は特に大規模に用いた場合において二塩化エチレン等の上記の量を使用することが触媒の活性を消滅又は減少せしめることを示し、したがつて、二酸化炭素の過剰生成を最小限に止め、しかも触媒の活性を適当に維持する問題を解決する必要に迫られた」との記載並びに当事者間に争いのない本願発明の要旨に徴すれば、本願発明における抗触媒剤の使用量は、触媒の活性を適当に維持しながら、多量の原料を継続的に処理するための必要条件であり、本願発明は、エチレン・オキサイドの大規模による大量生産のための方法であることが明らかである。しかして、前掲甲第八号証(発明者アルフレツド・サツフアー宣誓口述書)記載の実験成績表によれば、エチレンクロライド〇・〇五容量パーセントを連続的に添加すると、二・六時間において変換率(触媒による原料エチレンの変換反応率)が最高五六%に達するが、次の二・九時間に至るとその変換率は急激に低下してエチレン・オキサイドの収率が極減すること、すなわち、触媒の活性は約三時間で著しい低下を示し、エチレンクロライド〇・〇五%では触媒の活性を持続しえないことを認めうべく、また、前掲甲第六号証(アルフレツド・サツフアーの宣誓口述書)記載の実験成績においては、揮発性ハロゲン材料の使用量二・五ppmの場合は収率二二%、同じく一・五ppmの場合は三三%であること、すなわち、引用例において開示された揮発性ハロゲン材料の使用量より著しく少量の使用量において、揮発性ハロゲン材料の減少に伴い収率が増加する結果が示されており、これらのことから、本願発明においては、抗触媒剤としての揮発性ハロゲン材料の使用量は、ガス状混合容積百万単位(部)に対し、二部が限定条件であることを認めることができる。

(三)  両者の対比

これを要するに、引用例においては、抗触媒剤としての揮発性ハロゲン材料の使用量は、〇・一%以下ではあるが、過度の反応を防止するために、それより余り少ない量でないことを要するに対し、本願発明は、大量生産において触媒の損耗を少なくして生産を持続させるため、その使用量を引用例が「too little」としていると認められる二・五ppm以下の範囲に限定するものであり、したがつて、触媒活性の損耗を問題にすることなく、エチレン・オキサイドの高収率を目標とする場合には、本願発明は、引用例に劣るが、多少収率を低減しても触媒活性を維持して工業生産に寄与できる点においては、引用例にみえない特徴を有するものということができる。

(むすび)

三 以上説示のとおりであるから、本件審決は、原告主張のように、抗触媒剤の使用量の点において引用例及び本願発明のもつ技術的意義を誤認したものというほかなく、この誤認した事実に基き、たやすく、本願発明をもつて、引用例から容易に実施しうべきものとしたことは、事実誤認の違法があるものといわざるをえない。したがつて、その主張の点に事実誤認の違法のあることを理由に本件審決の取消を求める原告の本訴請求は、その限りにおいて、理由があるものということができるから、これを認容することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法第七条、民事訴訟法第八十九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 原増司 三宅正雄 荒木秀一)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例